大判例

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東京高等裁判所 昭和57年(ネ)964号 判決 1983年1月25日

控訴人

清和印刷株式会社

右代表者

長谷部正

右訴訟代理人

田子璋

被控訴人

株式会社東京都民銀行

右代表者

陶山繁弘

右訴訟代理人

菅原瑞人

主文

本件控訴を棄却する。

控訴費用は控訴人の負担とする。

事実《省略》

理由

第一取立権に基づく請求について、

一請求原因について

控訴人が、昭和五四年一二月一四日、横浜美装の被控訴人(取扱店春日町支店)に対する預金債権のうち一〇〇万円について仮差押決定(横浜地方裁判所昭和五四年(ヨ)第一五〇五号債権仮差押申請事件)を得、右決定がその頃被控訴人に送達されたこと、その後、控訴人は、横浜美装の被控訴人に対する預金債権中一一二万二二一八円について債権差押、取立命令(東京地方裁判所昭和五五年(ル)第三九〇七号、同(ヲ)第六九一二号事件)を得、これが被控訴人に昭和五五年八月八日、横浜美装に同月二一日にそれぞれ送達されたこと、同年九月五日、被控訴人が控訴人に四万一六八〇円を支払つたことは当事者間に争いがない。

二相殺の抗弁について

<証拠>によると次の事実が認められる。

1  横浜美装は、被控訴人との間に、昭和五四年七月七日銀行取引約定書により手形貸付、手形割引、その他一切の取引に関して生じた債務の履行について契約を結び、横浜美装が手形の割引を受けた場合、横浜美装について手形交換所の取引停止処分を受けたときは全部の手形について、手形の主債務者について同一事由が生じたとき、又は期日に手形の支払がなされなかつたときはその手形について、被控訴人から通知催告等がなくても当然手形面記載の金額による手形の買戻債務を負い直ちに弁済する旨、その場合には、その債務と横浜美装の預金その他の債権とを、その債権の期限のいかんにかかわらず、いつでも被控訴人は相殺することができる旨を約した。

2  横浜美装は、フジサービス振出の本件約束手形及び控訴人振出の原判決事実摘示請求原因1の約束手形二通を被控訴人に裏書して割引を受け、被控訴人は、右各手形を所持していたが、横浜美装は、昭和五四年一一月八日手形交換所の取引停止処分を受け、フジサービスは、昭和五五年二月一五日同様の処分を受けた。

3 そこで、被控訴人は、横浜美装に対し手形の買戻請求権を取得し、その額は、昭和五五年二月二五日現在で本件約束手形金相当額一一六万〇三五〇円、その満期後の遅延利息一万九一六八円、前記控訴人振出の手形二通(後に四で説示するとおり、控訴人はいつたん不渡にしたので、横浜美装に対する買戻請求権が発生したが、その後控訴人は手形金を支払つた。)にかかる遅延利息二万〇七一二円、の合計一二〇万〇二三〇円であつた(右の債権の種類と金額とは当事者間に争いがない。)が、他方横浜美装は当時被控訴人に対して右金額を越える預金債権を有していた。

以上の事実が認められ、ほかに右認定を覆すに足りる証拠はない。

被控訴人は、相殺について、横浜美装との間に、被控訴人から送付された書類が到達しなかつたときは、通常到達すべき時に到達したものとする旨の特約があり、被控訴人が昭和五五年二月二五日発送した相殺通知書は、通常到達すべき同月二七日に到達したものとみなされ、相殺の効力を生じたと主張する。ところで、相殺は、これにより相互に対立する債権が相殺適状の時に対当額に付き消滅したことになり、権利関係に変動を生ずるものであるから、相殺の目的とされる債権が特定され、かつ、これについて相殺を行う旨の意思が相手方に伝達されない場合には、相手方の地位を不安定ならしめ、延いては、取引の安全を害することになるものというべく、かかる相殺はその効力を生じえないものと解される。そして、このような観点からすると、相殺の意思表示の不到達は、相殺の意思表示がなされないのと同等に評価されるべきであり、したがつて、相殺の意思表示が到達したものと擬制する特約(乙第一号証の銀行取引約定書第一一条第二項のいわゆるみなし到達の約定)は、すくなくとも第三者には対抗しえないものと解するを相当とする。このように解しても、相手方が所在不明の場合には民法九七条の二の公示による意思表示をすることができるのであるから難きを強いるものではなく、また、たまたま不在の場合にまで右特約によることは相当ではない。もつとも、あらかじめ具体的・個別的に特定された債権につき一定の事由が生じた場合には意思表示を要せずに相殺の効果を生じせしめる旨を特約することは可能であろうが、被控訴人主張の相殺予約において、相殺の目的とされる債権について右趣旨の特定がされていると認めることはできない。右被控訴人の主張は採用しない。

しかし、本件については、被控訴人が、横浜美装の右預金債権の差押をした控訴人に対し、原審における昭和五七年一月二二日の第六回口頭弁論期日に、前記の手形買戻請求権等と預金債権とを対当額で相殺する旨の意思表示をしたことは記録上明らかである。

三更改により横浜美装の本件約束手形債務(被控訴人の本件約束手形の買戻請求権)は消滅したとの再抗弁について

被控訴人が、本件約束手形の振出人フジサービスの依頼で右手形の満期前日である昭和五四年一二月一九日、裏書人横浜美装の承認を受けずに、フジサービス振出の新手形を受取り、いつたん手形交換所に持出した本件約束手形につき、その満期に依頼返却を受けたことは、当事者間に争いがない。

<証拠>によると、被控訴人は、昭和五四年一二月一九日フジサービスから、「本件約束手形を決済する資金の調達がつかないので満期を延期してほしい。」旨の要請を受け、これを承諾して昭和五五年三月二七日まで支払を延期することとしたこと、同日フジサービスは右期日を満期、本件約束手形金額にこれに対する満期までの年九分の割合による利息を加算した一一九万六九七〇円を手形金額とし、他の要件は本件約束手形と同一の新手形を被控訴人に振出したこと、被控訴人は、持帰銀行である株式会社協和銀行(取扱店新宿西口支店)から本件約束手形の依頼返却を受け、フジサービスの承諾のもとに、新手形が決済されるまでその担保とする目的で被控訴人において保管するものとしたこと、以上の事実が認められ、ほかに右認定を覆すに足りる証拠はない。

ところで、旧手形の満期を延期する目的で、旧手形と同一金額、又は利息を加算した金額を額面とする新手形を振出し、旧手形は新手形の担保とする趣旨で振出人が回収せず、所持人において保管するものとした場合には、旧手形の裏書人その他の利害関係人の意見を聞くとか承諾を得るとかしなかつたとしても、特別の事情のない限り、それは更改ではなく、旧手形債務の支払を延期するためになされたものと解するのが相当である。したがつて、以上認定の事実によるとき、本件において新手形を振出したのは、本件約束手形の支払を延期するためにされたものと認めるべきであつて、ほかに更改と認むべき証拠はないから、控訴人の主張は採用しない。

四相殺が信義則に反するとの再抗弁について

控訴人が、横浜美装に原判決事実摘示請求原因1の約束手形二通を振出し、横浜美装が、これを被控訴人に裏書して割引を受け、被控訴人が、これを満期に支払場所に呈示したこと、控訴人は、横浜美装の債務不履行を理由に右手形金の支払をせず、手形金相当額を財団法人横浜銀行協会に預託して不渡届に対する異議申立をしたこと、控訴人代理人田子璋が昭和五四年一二月六日被控訴人春日町支店貸付課長柳下三郎に、「被控訴人の横浜美装に対する右二通の手形の買戻請求権と横浜美装の被控訴人に対する預金債権とを対当額で相殺してほしい。」旨申入れたこと、これに対し柳下三郎は、「支払期日未来の横浜美装からの割引手形があり期日に決済される見通しであるが、未だ決済がすんでいない。横浜美装の預金債権については譲渡を受けたという債権者が来ており、特定の債権者のために相殺することはできない。仮差押、差押、取立命令等の法的手段をとつてもらいたい。」と述べて右申入に応じなかつたこと、前記のとおり控訴人が仮差押をし、昭和五四年一二月一九日被控訴人に対し前記の手形二通の手形金四〇〇万円を支払つたこと、前記のとおり控訴人が債権差押、取立命令を得たこと、以上の事実は当事者間に争いがない。

<証拠>を総合すると次の事実を認めることができる。

昭和五四年一二月六日、被控訴人春日町支店貸付課長柳下三郎は、控訴人代理人田子璋から、前記相殺してほしい旨の申入れを受けたが、柳下三郎は、横浜美装以外の振出の約束手形で横浜美装が裏書して割引いたものが被控訴人のもとに数通あり、それらが満期未到来で、満期に振出人によつて支払がされることも考えられ、相殺は何時でもできるからこれらの手形の支払状況を見てからでもよいと考えて右申入れを断つた。

同月一九日フジサービスの経理部長佐藤郷一が柳下三郎に、資金不足を理由に本件約束手形の支払延期を懇請したので、柳下三郎は本件約束手形の持帰銀行である株式会社協和銀行(取扱店新宿西口支店)に電話でフジサービスの信用を照会したところ、フジサービスは常に預金額がすくなく、手形が満期に決済されるかどうかわからない、との回答を受けた。

そこで、柳下三郎は、フジサービスの支払延期の申入れを拒否すると本件約束手形は不渡りとなることは確実であり、これによりフジサービスが銀行取引停止処分を受ける事態となるよりも、一時本件約束手形の支払を延期して手形金の支払を受けるのが関係者の利益であると考え、前記のとおりその申入れを承諾した。

しかし、前記のとおりフジサービスは、新手形の満期前に銀行取引停止処分を受けるに至つたので、被控訴人は相殺して、債権の回収をしたものである。

以上のとおり認められ、右事実によるとき、結果的に柳下三郎の予想に反し新手形の支払を受けることができなかつたものの、本件相殺が信義則に反し許されないということはできないし、ほかに右認定を覆し、本件相殺が信義則に反し許されないとすべき証拠もないから、控訴人の主張は採用しない。

よつて控訴人が差押・取立命令を得た横浜美装の預金債権は被控訴人の主張の限度で相殺により消滅し、その結果、控訴人が支払を受けた四万一六八〇円を越えて右預金債権が残存しないことは計数上明らかであるから、控訴人の右請求は理由がない。

第二不法行為に基づく請求について

本件手形の支払延期及び相殺についての経緯は、右に認定したとおりである。控訴人は、本件約束手形が満期に決済される蓋然性が高かつたことを前提として、被控訴人の行為を難ずるが、甲第一号証の三(フジサービスの当座取引明細表)の残高欄の数字からはそのように認めることは到底できないし、また、<証拠>によれば、当時フジサービスと株式会社協和銀行との間には当座貸越契約は締結されていなかつたことが認められるから、本件約束手形を振り込めば不渡りとなると考えた柳下三郎の判断を誤つていたとすることはできず、したがつて、結局被控訴人がフジサービスの依頼を容れて本件約束手形の支払を延期したことについて柳下三郎に過失があつたということはできない。したがつて、その余の点について判断するまでもなく、控訴人の右請求は理由がない。

第三結論

よつて、控訴人の主位的請求、予備的請求はともに理由がなく、これを棄却した原判決は相当であつて、本件控訴は理由がないから棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法九五条、八九条に従い、主文のとおり判決する。

(倉田卓次 下郡山信夫 加茂紀久男)

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